2011年10月5日水曜日

9・19 明治公園 さようなら原発1000万人アクション新潟県から参加レポート

高橋 和彦

新潟駅で顔見知り数人に会う。皆明治公園へ。最寄の地下鉄の駅に開始30分前くらいに到着、札口付近にはそれらしい人たちが壁の周辺地図を見たりきょろきょろしたり、そのうちなんとなく人の流れができて、私らはその後を付いて行った。階段を上がったところはもう辺り一面人の波。会場に行く途中にはそこら中幟旗やらミニ集会やっているのやら座り込んでいるのやら叫んでいるのやら唄っているのやらもう何がなにやら分からない状態。
見渡す限りの歩道は人で埋まり、次々と人波が流れ込む会場に入るともうびっしり人と幟旗でわあーっという感じ。
ステージめがけてひたすらかき分けかき分け、途中で新潟平和運動センターの幟の下、見覚えある顔に手を振って挨拶。ようやくステージから5,6メートルくらいのところに空きを見つけ、座り込む。隣
は福島の人たちだった。焼けたアスファルトが尻をジリジリ。
参加者は公園の外まで溢れたのはもちろん、集会が終わりかけてもまだ各駅から会場に向かう人で歩道は埋まり動けない状態だったそう。(主催者発表6万人! 警察発表2万7千人! 各マスコミはどう表現したか!)

集会が始まる。ライブ。「♪まえをむういてあーるこおおう…なみだがこぼれたっていいじゃな
いか…」で盛り上がり。
発言は8人、皆短くても中身の濃いものばかり。福島からのアピールのときはステージ下の「福島隊」が幟とともに皆立ち上がる。「…日々否応なく決断に迫られている。子どもにマスクをさせるかどうか、食べるかどうか、逃げるかどうか…」「私たちは捨てられた」「誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が考えて…」「原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、横に限りなくつながろう…世界へと…」 
山本太郎は原発反対の最も単純で最も本質的な部分をストレートに-「俺は生き延びたいから、他の人にも生き延びてほしいから…」。「主義、思想、政治にまみれ」(姜信子)、埋没しかねない反原発を、その手で掬い取って見せた。    
デモは3コースに分かれて都内へ。私たちは「個人グループ」のAコース。青山通ってNHK脇ま
で。会場から外に出るのが押し合いへし合いで大変。ようやく外に出て適当なところにいると、ここ
からがまた大変で動かない。警察が勝手に200人くらいで切っていって、しかも前のかたまりがはる
か向こうに行っているのになかなかこちらを進めさせない。警察の策略だという話。後半はすいすい
だったけれど。途中では両側の歩道を後ろからじゃんじゃんデモの人たちが幟旗、プラカードに掛け声で車道上で動かない私たちを追い抜いていく。あれって法令違反じゃないか、なんて関係ない。こちらもいらいら限界でついに「早く行かせろ」コール。先導の警官顔青ざめ。後で聞いたのでは会場から出るだけで2時間待った人もいるとか。
若い男性、着物の着流しにつばつき帽子、手には巾着で下駄履き。すっとデモに入ってきて30、40?分くらい一緒に歩いて、またすっと歩道へ出て行った。
ゴール地点近くで路上に止まった車の中から大江健三郎が「ごくろうさま…」と声を掛けていた。
皆駆け寄り握手。温かく柔らかい手だった。『あなたのコトバでここに来ました。いつも勇気をありが
とうございます』、伝えられなかったコトバを心の中でつぶやいた。
近くのカフェで飲み物を買い、路上で一服する間も、次々とデモの列がやってくる。本当に色々なグループがいるもんだと感心。それによくこれだけ集まった。だいぶ暗くなったころ、威勢のいい掛け声でひときわ元気な一団が来た。先頭はマイクを持った山本太郎。さすが上手だね。
忌野清志郎、斎藤和義の歌が鳴り響く。会場脇の出発したところでは女性が自作らしいナントカ音頭を歌っていたし、形(ナリ)もさまざま、10のグループがあれば10のやり方があるという感じ

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